大判例

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福岡地方裁判所 昭和61年(わ)64号 判決

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数のうち八〇日を右の刑に算入する。

この裁判の確定した日から五年間右刑の執行を猶予する。

押収してある切り出しナイフ一本(昭和六一年押第一七五号の一)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六〇年一一月ころから西田昭徳(当時四五歳)と共に福岡市博多区美野島四丁目三番所在の清美大橋下の空地をねぐらに廃品回収の仕事をして日々の糧を得ていたが、その後右西田が仕事を怠るようになったうえ、被告人が買い置いていた食料や拾い集めてきた薪等が突然なくなったりしたことから、西田が無断でこれらを使用したものと考え、同人に対する不満を募らせるとともに、同人に対し右空地から出ていくように言ったりもしていた。

被告人は、昭和六一年一月七日、早朝から廃品回収の仕事に出かけ、午後二時ころ右空地に戻つたが、折から西田は鳥肉の調理中で、同人から卵等の材料を貸すよう求められ、不承不承これに応じたものの、同人に対するこれまでのことを思うにつけ面白くなく、同人から食べるよう勧められた鳥肉料理も食べる気になれないまま同人に背を向けて横臥していたが、次第に同人に対する不満の念が高じ、同人に対し、「食えるわけがなかろう。他人の薪も使つてくれるな。貴様汚ない人間じやね。」などと文句を言つた後、起き上がつて、焼酎を買いに同所から出て行こうとしたところ、突然、同人が被告人の背後からその首を右腕で絞めてきたため、一旦はこれを振り払つたものの、更に西田が被告人の左側頭部を手拳で殴打したうえ、そのためその場に片膝ついた被告人の襟首を掴んで引き起こそうとしてきたことから、ここに被告人は、日頃の同人に対する不満に加え、このような一方的な暴行を受けたことに憤激するとともに、自己の身体を防衛するため、防衛の程度を超えて、着用していたヤッケの外ポケットから切り出しナイフ(刃体の長さ約一〇・二センチメートル、昭和六一年押第一七五号の一)を取り出したうえ、右ナイフで同人の右下腿部を一回突き刺し、よつて、同人に右下腿前脛骨静脈切断の傷害を負わせ、そのころ同所において、同人を右傷害による外傷性出血により死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(当事者の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の本件犯行は、被害者西田から、いきなり手拳で殴打され、窒息するほどの強さで襟首をはがいじめにされる暴行を受け、更に、付近にあつた薪で同人から殴られることを恐れて、自己の身体を守るために及んだ行為であり、正当防衛もしくは過剰防衛に当たる旨主張し、他方、検察官は、被告人が本件犯行に及んだ当時、西田から被告人に加えられた暴行の程度などに鑑みると、そもそも本件では侵害の急迫性が認められないうえ、被告人は西田に対する憤激から専ら攻撃の意思の下に本件行為に出たものであるから、いずれにせよ正当防衛及び過剰防衛が成立する余地はない旨主張するが、当裁判所は、判示のとおり過剰防衛を認定するに至つたので、以下その理由を示す。

まず侵害の急迫性の有無について検討するに、前掲の関係各証拠によれば、西田は、判示のとおり、焼酎を買いに行こうと入口に向かつて歩きかけた被告人に対し、いわば突発的に、その背後から右腕を被告人の頚部に回してこれを絞めた後、被告人からその手を振り払われるや、今度は右手拳で被告人の左側頭部を殴打し、その結果被告人がよろけて片膝と右手をつくと、更にその襟首を掴んで強く引き起こそうとする一連の暴行を加えた(以下、右各暴行を本件暴行という。)ものであつて、本件暴行はごく短時間の間に連続的になされ、西田においてその攻撃の手を緩めようとする様子は全くなく、その暴行の程度は決して軽微なものとは言えないうえ、被告人にとつては全く予期予測のできなかつた突然のものであり、かつ前記手を振り払つたほかは被告人においてなされるがままの一方的なものであつたのであるから、検察官主張のような諸事情を考慮に入れても、本件暴行が急迫不正の侵害に当たることは明らかであるというべきである。

そこで次に、被告人の判示の刺突行為(以下、本件刺突行為という。)が防衛の意思でなされたものであるか、それとも検察官主張のように専ら攻撃の意思の下になされたものであるかについて検討するに、確かに、判示のとおり、被告人は日頃から西田に対し不満の念を抱いていたところ、本件暴行に先立つてなされた被告人の西田とのやりとりの結果、同人に対する右のような不満は一層露わなものとなつていたうえ、更にその後同人から前記のようないわれのない一方的な暴行を加えられたことから、被告人は本件刺突行為当時、相当憤激していたのであり、本件刺突行為の態様等に照らし併せても、被告人が攻撃の意思をも有して本件刺突行為に及んだことは否定できないところである(その点で、「西田に乱暴されたので腹が立つてしまい刺した」旨の被告人の捜査段階での各供述調書の記載は、それなりに自然なものがあると言える。)。

しかしながら、急迫不正の侵害に対し自己の権利を防衛するためにした行為と認められる限り、たとえ同時に侵害者に対し憤激して攻撃的な意思に出たものであつても、その行為は防衛のための行為に当たると解するのが相当であるところ(最高裁昭和四五年(あ)第二五六三号同四六年一一月一六日第三小法廷判決・刑集二五巻八号九九六頁、同昭和四九年(あ)第二七八六号同五〇年一一月二八日第三小法廷判決・刑集二九巻一〇号九八三頁、同五九年(あ)第一二五六号同六〇年九月一二日第一小法廷判決・判時一一七四号一五一頁参照)、前掲の関係各証拠を総合すると、被告人の本件刺突行為は、西田から襟首をつかまれ強く引き起こされようとされる暴行を現に受け、これに引き続き更に同種の攻撃を同人から加えられる危険が目前に迫つていた被告人が、わずかに自由の残つていた両手でたまたま着衣のポケット内にあつた判示のナイフを取り出した後、最も刺突の容易な位置にあつた西田の右下腿部に一回右ナイフを突き刺したものであること、しかも右刺突の程度は、これにより生じた創洞の長さが約三センチメートルにとどまつていることからみると、さほど強度なものではなかつたものと思われること、被告人は、右刺突により西田が転倒するや、直ちに攻撃を中止して同人の救護に努めていたことなどが認められるのであつて、以上のような、西田からの急迫不正な侵害に対応してなされた被告人の反撃行為の態様やその後の行動に照らすと、前記認定のような被告人がかねて西田に対し抱いていた不満の念や本件刺突行為当時の憤激の情を考慮に入れても、被告人が専ら攻撃の意思のみに基づき本件刺突行為を行なつたものと解するのは困難であつて、被告人は、被害者に対する攻撃の意思とともに防衛の意思をももつて本件刺突行為に及んだものと認めるのが相当であり、結局、右刺突行為は防衛のための行為とみるに妨げないというべきである(もつとも、被告人は、当公判廷において、本件刺突行為に出たのは、現場付近にあつた薪で西田から殴られるのを恐れたためである旨供述しているが、右供述は極めて曖昧かつ不自然であり、その供述経過に照らしても、到底措信することができない。)。

そこで、進んで本件刺突行為が防衛行為として相当なものであつたか否かについて検討するに、前記のとおり、本件暴行は必ずしも軽微なものとは言えず、かつ一方的なものではあつたが、右暴行自体は終始素手でなされていたのであつて、被告人と西田との間で特段体格等に差がなく、かつ被告人において素手による反撃も可能であつた事情が認められる本件事案においては、右のように素手による侵害に対し、いきなり判示のような切り出しナイフを用いて反撃することは、それ自体で防衛の程度を越えているものといわざるをえない。

よつて以上により、当裁判所は、被告人の本件刺突行為は過剰防衛に当たると認定した次第である。

(法令の適用)

被告人の判示の所為は、刑法二〇五条一項に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中八〇日を右の刑に算入することとし、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から五年間右刑の執行を猶予し、押収してある切り出しナイフ一本(昭和六一年押第一七五号の一)は、判示傷害致死の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号・二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、橋の下をねぐらとして生活している被告人が、同じ場所をねぐらにしている被害者に対しかねて不満を抱いていたところ、同人との些細なやり取りから、突然一方的に暴行を受けたため憤激し、同人の右下腿部を一回突き刺し、その結果同人を出血死するに至らせたという事案であるが、素手の被害者に対し、凶器を取り出して突き刺した本件犯行の態様は悪質であり、その結果被害者の死亡という重大な結果を招来した点において、被告人の刑事責任は重大であるといわざるをえない。

しかしながら、本件のそもそもの発端は、判示のとおり被害者が被告人に対しいわれのない暴行を一方的に加えたことにあり、被告人の行為は、防衛の程度を超えているとはいえ、右の暴行に対する防衛行為の側面を有するものであること、本件の背景となつた被告人の被害者に対する不満の念も、一応理解できないわけではないこと、また、本件犯行の態様は単に下腿部への一回の刺突のみで終わつており、右刺突行為は必ずしもそれ自体で当然に死の結果をもたらすような危険性を有するものではなく、不幸にして静脈を切断したが、それでも直ちに適切な治療を施せば治癒する程度のものであつたこと、本件犯行後、被告人は、自分なりの判断で、薬局に薬を買い求め、救急車を呼ぶなどして被害者の救護に努めていたが、被告人自身が思いもよらなかつた程の大量出血のため、これらの努力も効を奏さなかつたこと、その他被告人には近時は犯罪歴がないこと、被害者を死亡させたことについては深く反省しているものと認められることなど被告人のために酌むべき事情も少なからず認められるので、以上の諸情状を総合勘案すると、被告人に対しては今直ちに実刑に処することは相当ではなく、今回に限りその刑の執行を猶予して、社会内において更生させることが相当であると考え、主文のとおり量刑した次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官仁田陸郎 裁判官村瀬 均 裁判官杉田宗久)

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